第三幕 伍

 永庵が助手の少女お千を連れて白尾屋に駆けつけた時には、既に粗方の始末は済んでいた。
男の死体は物盗りの仕業に見えるよう、懐中物を全て抜き取り筵にくるんで川原に運んで行った。
誠司の縄張り(シマ)で起きた事件だ。単なる強盗の一見として始末するつもりである。
あちこちに散った赤黒い染みや異臭は、そこは薬種問屋、磨き粉や臭い消しには不自由しない。
 それよりも、彼らを驚かせたのは男の懐から出てきた小道具である。
匕首や小柄は言うに及ばず、手裏剣じみた鉄片や先の尖った寸鉄などと、なんとも物騒な
代物がずらずら並べなれたのだ。そして極め付けは、油の入った瓢箪に火薬に火打石。
当然、薬種は乾燥させたものが多く、火気に弱い。これだけの量の油を棚一杯にぶちまけた後で
火薬に火を付ければ、この乾燥した冬の空気の中、白尾屋はあっという間に炎に包まれただろう。
 しかし、どうにも分からない。
 何故、白尾屋が狙われなければならなかったのか。
その答えを知る少年は、今、布団の上に半身を起こして一同の視線を受け止めていた。

「よし、じゃあお千、後は高麗人参の煎じでも出しとけばいいだろう。体の方が多少弱ってる
らしいからな。滋養が一番だ」
てきぱきと指示を出しながら、永庵はどことなく呆れた目で莞を見やる。
「しかし、よく知ってたな。鳥兜は砂糖で中和できるなんざ」
「まあ薬なら多少は」
 少年が含まされたのは鳥兜の毒だった。いち早くそれに気付いた莞が毒を吐かせ、解毒剤と
なる砂糖水を飲ませたお陰で、大事に至らずに済んだというわけだ。
永庵は少年の深紅の瞳に多少驚いたようだったが、特に何も言うでもなく治療を続けていた。
「しかし手当てが早かったからって、普通はまだまだのた打ち回ってるところだ。お前さん、
どうなってる?」
「…昔から、少しずつ飲んでた…。だから、あまり効かない」
「毒馴らしか。嫌な手だな」
 医者は一言で吐き捨てる。恐らく少年は、他の毒もずっと口にさせられていたのだろう。
相当に幼い頃から。
「…あの、永庵先生、そいつの目の色は…」
「ああ、これは単なる白子の変り種だ。病には違いないが、れっきとした人間だ」
 たまりかねたように口を挟んだ剣介に、あっさり答える。それから少なすぎる説明に気付いたか、
少し腰の位置を直して姿勢を改めた。
「人間には元々、髪だの目だのを黒くする色の素みたいなものがある。これは一人一人で
現れ方が違うから、重みたく赤毛の奴も出るし、西洋に行けば金やら銀やらの髪色に
青眼緑眼なんてのも大勢いる」
言われて、白尾屋の面々が思い浮かべたのは『桜』の姿だった。同じ人間とは思われないような
色彩を宿した密輸商人。
「そういう中に、稀に全くこの色の素を持たないで生まれてしまう奴がいる。これが白子だな。
蛇だの狐だのにもたまにいるだろう。こいつの場合は、何の間違いか眼の部分だけ色が
抜け落ちているんだろう。だから、血の色そのままの赤い眼に見えるわけだ」
そういって、ひらりひらりと少年の顔の前に掌を遊ばせる。
「まあ見た目はかなり派手だが、物の怪の類じゃない。寧ろ、ある筈の物が無いんだから
困る事の方が多いだろうな。おい、お前あんまり強い光に当たると、すぐに目が眩むだろ?」
こくり、と縦に振られる首。
「こいつの場合、他にも傷の治りが遅かったり風邪に弱かったりいくつか問題は抱えてると
思うが、基本的には私達と変わらん、ただの、人間の、子供だ」
強調するように、一言ずつ発された言葉は…体中の傷跡や毒に馴らされた姿を目の当たりに
したからだろう。
「ただの、人間の、子供」という言葉はなぜか、剣介に、莞に、ひどく真っ直ぐに響いた。
それを安堵と呼ぶ事は忌むべきだろうが…やはりそれはある種の安堵であり、そして、また
別の確信でもあった。
「さて…」
 ちらりと誠司に目を向けた永庵は、そこで袴を払って立ち上がる。
「ここから先は、私は聞かない方が良さそうだな。お千、帰るぞ」
「はい」
 手早く荷をまとめて少女も体を起こす。『治療はすれども事情は聞かず』を信条にしている
彼らしい割り切りぶりだった。それでも見送られる際、お千は誠司と貴乃にきつい視線を
投げていく。お上を嫌う者は多い。まして、与力や同心となるとその筆頭だ。二人としては
肩を竦めて苦笑するしかなかった。
 永庵達が去り、襖が閉じられてから、誠司は部屋の中を見渡す。寝具の上に座った少年と
彼を囲む形で剣介、八房。少し離れて莞という、白尾屋の面々。自分の隣には固い表情の
貴乃と、その後ろには遠巻きにする形で花雪とお空、源五郎が膝を揃えていた。
大人数だなあ、と一瞬呆けたことを考えてから改めて、彼は少年に向き直った。
「ここからは隠し事は無しだ。良いな?」
こくり、と縦に振られる首。
「おまえは、何をしていた?」
ひどく漠然とした質問。しかし、彼はその意味を正しく読み取ったようで、深紅の瞳を伏せがちに
ぽつりぽつりと答える。
「…俺が、白尾屋に拾われたのは偶然。でも、その前からここの事は調べてた…」
「何の為にだ?」
「…御方様の命令で、条件に合う店を探してた」
「条件?」
「…上に知らせずに、密輸をしてる事。それから…阿片を扱ってない事。このふたつ」
「あ?」
剣介が妙な声を上げる。
「何だそりゃ?阿片を扱ってる店を探すんなら分かるけど…してない店だって?」
がりがり、と頭を掻く彼に被せるように、莞がもうひとつの問いを出す。
「密輸の件に関しては、どうやって調べて報告したんだ?」
「…あの地下蔵に俺もいた。報告は鳥の足につけて飛ばす。…あれの密輸は確かに罪だけど、
白尾屋は阿片に関係ない。ひとりの時が多かったから、ずっと調べてた…」
 白尾屋勢はほとんど呆気に取られて顔を見合わせた。この少年、大人しく寝ていると見せかけ、
気配を殺して店内を探っていたというのか。その道の玄人である剣介や八房にも、全く
そんな気配を感じさせる事も無く。…一体、何者だというのだ。
「待って下さい、あれ、とは?」
 正式な取り調べてないながらも職務から離れられない貴乃が訊く。莞は何となく疲れた顔で、
すっと体を横に動かした。
「木乃伊(ミイラ)ですよ。出所は言えませんが」
 それを耳にし、彼等は一様に納得の表情を浮かべる。
木乃伊−つまりは人の死体の干物だが、これは不老長寿の妙薬と言われ、欲深な好事家の
間で随分な高値で取引されていた。売っている側が言うのも難だが、いくら長生きの良い夢が
見られるとは言え、あんな不気味なものを口にする奴の気が知れない。
「成る程、密輸はしているが阿片の扱いは無い…。実際に阿片を売り捌いている側が濡れ衣を
着せるには最適な存在だという事か」
莞の言葉に少年はまた小さく頷いた。
 これで話がつながった。少年は偶然とは言え、条件に丁度合う薬種問屋を見つけ、それを
『御方様』−雇い主に報告する。それを受けて「阿片を市中に流しているのは白尾屋だ」
という噂話を世間に流し、その同じ手で自分達が売った阿片から大利を得る。そして、噂が
広まりきり、十分に儲けたところで、全ての罪を白尾屋に着せて店を焼いてしまえば…
後に残るのは金と安全。こういう構図だ。
「ちょっと待てよ!おまえ、今さっきあの男に殺されかけただろ?!仲間だったんじゃ
ないのか?!」
「犬の字、少し声を落とせ」
八房に呆れられながらも、剣介にはそんな余裕は無かった。
「本当なら、おまえはきちんとした仕事をしただけだろう?なのに殺されるってのは…
何でだよ!」
瞳の深紅が揺らぐ。「ただの、人間の、子供だ」という言葉がまた耳を打つ。
何故、この少年が。
「…俺は、こういう時の為に作られた…『名無しの十番目』だから」
意味の分からない言葉が剣介の動きを止めた。そこにはなぜか、耳を覆いたくなるような、
痛い、響きがあった。
 誠司はぐるりと一同を見渡し、ゆっくりと口を開く。
「…おまえの主人は、誰だ?」
やはりぽつりと落ちた声は、とても、とても冷たかった。
「城代家老が末席、三条俊成様」


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