第四幕 弐

 三条俊成−公家の生まれで、幼少時より英才の誉れ高く、二十歳半ばで是非にと請われて三条家に
婿入りした。その時、三条家の治める中坂藩の財政は正に火の車だったが、三条はこれを三年余りで見事に
立て直した。質素倹約令に始まり、産業復興、農地開拓とあらゆる手を使って藩の金蔵を満たして見せたのだ。
 その手腕は京だけでなく江戸にまで鳴り響き、とうとう幕府から直接にお声が掛かった。
家老格として迎えようというのである。無論断る理由もなく、三条はそのまま江戸入りし、今は財政を扱っている。
私財をなげうって新田開墾に取り組むなど、その働きぶりはつとに有名である。
「だけど、公家生まれの武を軽視する傾向が強くて、付いた渾名が三条卿か」
誠司はここ数日調べていた三条の素性や人柄をつらつらと並べ立てた。
「…別に、評判悪いわけじゃないんですよね。三条卿は」
調べものを手伝っていた貴乃が首を傾げる。
「ああ。どうにも軽く見られてる感はあるが、全体的には良い声の方が多いぜ」
「何しろこの新田開墾事業というのが大きいですね。ものになれば御城の財政はかなり楽になる上に、
一番は私財を投じたところですか」
「なかなか出来る事じゃないからな。随分とかかりの大きい仕事だぜ、これ」
ふう、と溜息を吐きながら紙束を避ける。いい加減疲れていた誠司はごろりとその場に寝転がった。
「白、なんだよなあどう見ても…」
阿片など扱う必要は無さそうなのだ。この三条卿は。
「やっぱ、桐原が頼りか…」

 剣介は夕暮れに紛れ、通町を歩いていた。ゆっくりと歩を進めながら目当ての場所を目指す。
赤眼の少年−透が言ったのだ。自分の手持ちの武器は全部捨てたが、江戸市中には九人衆の鍛冶がいて、
定期的に作った武器を所定の場所に補充しているのだと。
「…っと、あれか」
 人目に付かない路地裏に置かれた天水桶。さりげない風を装って近づき、自分の姿が完全に路地に
隠れたのを確認してからおもむろにしゃがみ込む。彼の言葉通りに、底近くに小さな引っ掛かりがあった。
そこに指を掛けて引き出すと、小さな音とともに側面の板が外れる。二重底になっているのだ。そっと
手を入れると、ざらついた麻袋の感触。引き出して肩に担ぐ。どしりと重かった。その重さは、透が
これまで背負わされてきた罪の重さに似ていた。
「…何だかな…」
 自分達が救ってやるみたいな大言壮語を吐いたのに、実際にやっているのは彼を再度闘いの場へ
送り出す真似だ。
矛盾しているにも程があると思いながら、もう一度麻袋をゆすり上げた。そのまま白尾屋へ戻る道を歩き出す。
白尾屋は、今日も店を開けていた。
 あの晩の襲撃がうまくいかなかったことはすぐに三条に筒抜けになるだろう。だからこそ、普段と同じ
暮らしをしておくべきだというのが主人の莞の意見だった。慌てて閉じこもったりすれば却って面倒を
招きやすい。その言葉は分かるのだが。
「…どうもあの人は自分から厄介事に手招きしてる節があるよな…」
 自分の雇い主に対して結構な事を考えていると、白尾屋のある日本橋外れの通りに着く。
そのまま歩いていこうとして、足を止めた。店の前にたむろしている数名の男達。そこへ、夜の粘質な臭いを
嗅ぎ取ったからだ。強面揃いが六人。とても薬種を求めに来た客には見えない。
(…とうとう、白尾屋(みせ)の方にまで来やがったか…)
 今日は荷物があるので腰に刀は差していない。さてどうするか、と思っていると、店の奥から見慣れた
赤毛の長身が現れた。
「先程からこちらに集まっている様子。用向きは何事か」
腹に響く声。男達は顔を見合わせ、ぼそりと言った。
「ここに来れば、あれが手に入ると聞いたもんでな」
「あれ、とは何の事だ?」
白々しい顔でよく言う、と剣介は自分を棚に上げてそう思った。八房は懐手をしたまま
「付いて来い」
と男達を促す。店を通り過ぎて。
(おいおい)
慌てて店先に荷物を放り出して、小間使いに
「これ見といてくれ!」
と頼むと、剣介は彼らの後を追った。本来なら武器を持ちたかったのだが、今更言っても仕方がない。
人通りの少ない場所まで来ると、八房はくるりと振り向いた。
「さて、もう一度聞く。あれ、とは何だ?どこで聞いた?」
「とぼけてんじゃねえよ、阿片だ!朧組とつながって売ってるって、最近じゃ子供でも知ってるぜ」
 その口上に八房と彼をつけてきた剣介は同時に眉をひそめた。なるほど三条卿、噂を流すだけ盛大に
流してくれたらしい。
「…子供まで、とは穏やかでないが生憎白尾屋にはそんな品物はない。さっさと諦めることだ」
言いながら、彼の足は半歩引かれて打ち込みの姿勢に入っている。だが激した男達はそれにも気付かない。
ただ、そのうちの一人が少々怯えた声を出した。
「お、おい…赤毛の総髪、こいつもしかして『鬼の重』じゃ…」
「ああ?はっ、六人相手に一人でどうなるってんだ。やっちまえ!後で吐かせりゃいい!」
 それを皮切りに男達はばらばらと動いた。浪人も混じっていたらしく、長物の煌きも見える。だが八房は
慌てなかったし、剣介も手出しはしなかった。
 武骨な指が鯉口を切り、すらりと刀が抜かれる。長身に会わせた二尺あまりの大刀。直刃(すぐは)の
紋様は手入れを怠っていない証に午後の弱い日差しを痛いほどの強さで弾き返した。
それからはほぼ一瞬。正に舞うように静かな、それでいて誰にも追い付けない速さで銀光が疾り抜ける。
 一人目の胴を抜き、二人目は胸を打つ。三人目の小手は激しくその手から刀を飛ばし、四人目と五人目は
同時に足を横に薙がれた。六人目、最後の一人はあまりの早業に度肝を抜かれたのか立ち竦み「ひっ…」と
小さな声を漏らしたが、八房は容赦しなかった。軽く見える踏み込みの瞬間に額面を打たれてあっさりと気を失う。
 それだけの動きをしたのに息ひとつ乱さず刀を鞘に収め、キン、と澄んだ音を立てて八房は背後に
声を投げる。
「見ていたなら、手伝ったらどうだ」
「…重サン、俺が何かやると却って邪魔だって言うじゃないっスか…」
地面に倒れて呻く男達を何のためらいもなく足蹴にして「それもそうか」と呟いた彼は、もう一度
剣介に目をやった。
「…ついに店にまでこんな奴らが来るようになったな」
「…噂が広まりきったってことっすね。この調子だと…」
「ああ、あまり時間は無いな」
苦々しげな溜息。
「三条卿とやらが、白尾屋を潰そうとしてくるのも早いということだ」
自分達は間に合うのだろうか。冷たい感覚に背を撫でられ、剣介は一度ぶるりと身震いした。
 今更、風の冷たさが感じられた。


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