第四幕 参

 がちゃがちゃと大きな音を立てて、麻袋の中身が空けられる。そのどれもが、剣介が今までお目に掛かった事の
無いような代物だった。何に使うのか、薄い鉄片や五寸も無い小刀、細くまとめられた頑丈そうな紐などである。
一つ一つ手にとってその重みを確かめるようにし、透はぺこりと頭を下げた。
「助かった、けんすけ」
 名前を与える時にその重要性について得々と説明したためか、透が誰かの名前を呼ぶ時は一音一音を
区切るようにはっきりと発音する。そんな様子は何処か、祈りにも似ていると思った。
「お安い御用。ところで、今まで何やってたんだ?」
 枕もとに広げられているのは大きな半紙。横に硯と筆を置き、彼は何かを描いていた。
「かんと、せいじが言ってた。御方様の屋敷に見取り図が欲しいって」
御方様−つまり、三条邸の図面ということだ。
「…何に使うつもりなんだか、そんなもん」
「知らない。でも、必要になるって」
命令口調で言ったわけではないだろうが、この少年には誰かに何かを言われた時、それに逆らうという
選択肢が存在しない。どうやら頭二人、かなり危ない橋を渡るつもりらしい。
「そうだ、そう言やそろそろ包帯替えねえとな」
 透が左腕に負った傷は、まだ完全ではないが大分良くなってきていた。普通よりも治りが遅いらしいが、
永庵に診せたのが良かったようで、かさぶたの下に新しい肉が盛り上がり始めている。
包帯を解いてそれを確認し、安堵しつつ軟膏を塗ってやる。未だに「傷の手当てを受ける」という事に
違和感があるらしく、透はいつもと同じ、何処か不思議そうな目でその様子を眺めていた。
聞けば今まで傷を負った時は、ただ血止めだけをしてそのまま三条に与えられた任務をこなしていたらしい。
いくら使い捨ての駒として拾ってきたとは言え、あまりと言えばあんまりな扱いではないかと剣介は憤ったものだ。
「もうそろそろ、動かす練習した方が良いかもな。体鈍ってるだろ?」
「…気付かれないように、動いてはいたけど…」
「…そんなだから治りが遅れるんだよっ!養生って言葉を知ってくれ!頼むから!」
 そう言えばこの少年、誰にも悟られないうちに『桜』との密会現場に忍び込んでいたのである。
他にも白尾屋が阿片に関わりを持っていないかどうか探っていたわけで−…治らないのも当然だ、これは。
「とにかくっ!あと少し大人しくしとけ!ちゃんと動けるようになったら、俺が相手してやるからっ!」
びしりと指差して思わず高らかに宣言。透はぱちくりと深紅の大きな目を瞬かせ、、逆に問うてきた。
「どうして、けんすけはそこまでしてくれる?」
心底不思議そうな眼。そういうものを見る度に、てめこの三条卿とやら覚えとけ一発殴ってやるという
思いにかられる。
「いいの!俺はおまえの優しいお兄ちゃん役やるって決めたから!透の仕事は俺に大人しく面倒見られとくこと!」
包帯を巻き終わり着物を直してやりながらそういうと、透はまた深紅の瞳を一瞬伏せ、それから思い付いたように
こう言った。
「…こんな時って、ありがとうって、言えばいいのか…?」
不器用すぎる氷人形は、少しずつ、少しずつ、「人」になろうとしていた。

「はあ…」
大和屋の中に今日何度目か分からない溜息の音が響く。客の引けた時間帯で、店内には仕込みをしている
お栄とお空、花雪に源五郎だけだった。溜息の主は花雪である。
「今日はどしたの?花雪ちゃん」
「ううん、なんか…大事になっちゃったなって思って」
お空の問いに半分上の空で答える。
「お嬢さんよ、最初っからそれくらいの覚悟はしてきたんじゃなかったのか?」
「…でもね、源さん。今更言うのもなんだけど、あたし、もうちょっと簡単に考えてた。…少なくとも、
お空ちゃんと源さんを巻き込むつもりなんて全然無かったのよ」
 それは花雪の本音だった。篠宮の藩屋敷を飛び出してきた時は無我夢中で、とにかく阿片の出所を探り、
それを誰か−お上に知らせれば、何とかなると思い込んでいたのだ。だが実際は、こんなにも多くの人の
手を借りて、しかも本来なら何とかしてくれる筈だったお上に刃を向けるような形になっている。
三条卿が家老職にあるというなら、正攻法で訴え出たところで握り潰されずに済む筈が無かった。
しかも、先日の一件でお空や源五郎が誰かに目を付けられた事は間違いなく、今は平常どおりでも、
いつ災難が降りかかるか分からない状況だ。
「…軽はずみだったわ。ごめんなさい」
「謝る必要は無えぜ」
源五郎がぼそりと言う。
「どの道、最初に襲われた時に俺達は十分巻き込まれてるんだしな」
「そだよ。このまま何も知らないで、ただ阿片にやられてく人たちを見てるだけより、あたしは今の方がずっと
良いと思うよ」
 お空の言葉は、あながち慰めだけにも聞こえなかった。その証拠に目がきらきらしている。
「実はね…秘密なんだけど、お父っつあんに相談したら、悪党退治用のからくり作ってくれるってね!」
「ああ、俺も手伝ってる。なかなか面白い事になりそうじゃねえか」
 にやりと笑う源五郎。お空もその隣で肘をついて花雪を見上げ、にこにこと笑みを浮かべている。
−ああ、この人たちは強いんだ。
 唐突に花雪はそう思った。お稽古事や厳しい躾の中で育ってきた自分とは違う、しなやかで決して折れない強さ。
悪い状況をあくまでそのままに、だが飄々と受け流し、それを楽しんでしまえる強さ。
それが町人達の中にはある。自分のように考え無しで飛び出して周囲に迷惑を掛けるわけではない、柔軟な力。
これを自分が持っていれば、少なくとも『彼』の変化には気付けただろうか。どうしようもない状況に歯噛みして、
結局誰かに迷惑を掛けている、そんな方法とは違う力を。
−強くなりたい。
 花雪の心の中に、その思いが燈り、ちらりと炎が舞った気がした。


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