第五幕 弐

 同じ夜。白尾屋は覆面の男達の襲撃を受けていた。どんな偶然か、こちらの計画実行日とあちらの予定が
重なったらしい。
源五郎は普段腰に差したままの刀を久々に抜き放ち、正面から彼等と向かい合っていた。男達から漂ってくるのは
荒んだ臭い。正規の訓練を積んだ武士ではない。
「朧組か?」
 一応は尋ねてみるが返答は期待していない。こんな時のための用心棒として雇われた形の自分だ。
相手が誰であろうが、襲ってくる以上は敵なのだから倒す事に異論は無かった。
「やれやれ…疲れることはしたくないんだがな」
言うともなしに呟いてみる。長の浪人暮らしで市井に溶け込んだ身でも、やはり刀を構えれば気分は違う。
「黙ってんならこっちから行かせてもらうぜ」
 ぼそりと宣言して彼は走り出した。相手の手にした匕首や長刀子にわざわざ恐れなど感じていない。
ギン!と、鋼同士が噛み合う音が高く響き匕首が跳ね飛ばされて宙を舞う。そのまま首筋に峰打ちを入れ、
次の相手と向かい合う。こちらは長刀子だったが、三合でけりが付いた。だが襲撃者は十名以上。流石に
分が悪いか、と思っていると。意外な援軍が現れた。
「お空っ?!」
「あたしだってやる時はやっちゃうんだからねー!」
両腕に抱えた木箱を覆面の一人に向け
「えーいっ!必殺飛び出し玉ー!」
 気合一発。手元を弄るとばこんと木箱の前面が開き、中から何かが勢い良く発射された。狙い過たず
それは見事に相手の顔面を直撃し、びよよんっと発条(ばね)の音を鳴らして元通り箱の中に収納される。
仰向けに倒れる男。源五郎の視力に間違いがなければ、それは猿の彫り物を施した硬い木の、かなり大きな
丸玉で、発条仕掛けで前方に向かって打ち出されるらしい。
「…お空、そりゃあ…」
「お父っぁんと二人で考えたの!へっへー、樫の玉だから当たると痛いよー」
猿坊に相談したという悪党退治用のからくりの完成品のようだ。確かにあんな勢いで飛び出す樫の玉を
まともにぶつけられたら、そりゃあ数日は痛みに苦しむに違いない。ましてや御丁寧に彫り物入り。
下手をしたら顔にお猿印の青痣が出来てしまう−…最悪だ。
「俺ぁたまにつくづく、おまえらが味方で良かったと思うぜ…」
本心からの呟きである。あんなものを食らってこれから先まともにやっていく自信は無い。
「流石はあたしとお父っぁんだね!ほらほら、どんどんいっちゃうよー!」
 新発明を手にしたお空の目が楽しそうに輝いているのはきっと源五郎の見間違いではない。なんだか敵方と
やりあうよりも数段疲れを覚えつつ、そこはその日暮らしの哀しい性で白尾屋がはずんでくれるだろう礼金へと
頭を切り替え、源五郎は金蔓−もとい襲撃者に向けて再びその刀を構え直した。

 白尾屋への襲撃は源五郎とお空の活躍で一刻ほどで片が付いた。
男達は巨漢の番頭、武藤(たけふじ)が荒縄でふん縛って転がしている。源五郎が手傷、と言っても肩口を
軽く掠められただけだが、大事の用心棒の名誉の負傷という事でわざわざ永庵が呼ばれていた。
彼は浅い傷口を診るなり
「舐めとけば治る」
と言ったが、念のために金創に効く膏薬を塗り、包帯をして診療を済ませた。それから奥座敷で茶を啜りつつ
莞と向かい合っている。
「珍しいな。今晩はお供の二人もあの子供もいないのか」
「ちょっと出ておりまして」
「ふうん…」
訝しげな目付きにはなったものの
「まあ私には関係の無い話だが」
と、もう一度茶を口に含んだ。それから莞の表情を見て呟く。
「何か心配事でもありそうな顔だな?」
「いえ…」
これは嘘だった。誠司に言われて白尾屋に残ったはいいが、どうにも落ち着かない。
「出て行った者達のことで、少し」
「成る程」
永庵の声はあくまで静かだ。
「主人としては白尾屋を守るのが勤めだ。だが、そちらはけりが付いたんだろう?少し、自由になってみたらどうだ」
「自由、ですか?」
「自分の本当にやりたいことをやるって事だ」
事情を知りはしないのに、悟ったような口ぶりを見せる。
「私は前に言ったな。あんたは何処かで何かを諦めてしまったんだろうと」
「…ええ」
師走の入りに言われた言葉だ。あれからやたらと騒がしくなりその中に紛れてはいたが、忘れる事の
出来ない一言だった。
それは確かに、正鵠を得ていたから。
「仰るとおり、俺には苦い思い出があって。正直、その時に全てを投げ出しても良かった。その思いがあるから、
何かにつけて無気力に見える時もあるかとは思います」
「見えるじゃなくて無気力だな。大事なものを失くした人間はそういう風になりやすい」
数々の患者を診てきたからと言う以上に、永庵の目は確かだった。
 莞は時折、どうして自分が−紅華を失った自分が−まだこんな事を続けているのか分からなくなる時がある。
それは不意に襲ってくる感情で、急に全てが色を無くして見えるのだ。
彼の表情を見るともなしに眺め、
「だがな」
と永庵は言葉を続けた。
「失くしたものは唯一で、代わりのきかないものなんだろう。だが、それ以外に大事なものを作っちゃ
ならないって法は無い」
「……」
「難しいだろうさ。だが、あんたはずっとここで、この店を守ってきた。それはあんたにとって、ここが
大事だったからじゃないのか」
 白尾屋。先代から渡された店。
 そしてそこで働く、生きる者達。
 自分にとって、彼等は、何だ−?
改めて考えてみもしなかった事を目の前に突き付けられた気分だった。惰性で店を守るだけなら、商いを広げる
事などしなかった。ただもうあんな思いは嫌だからと裏の顔を持ち始めた時、八房や剣介の手を借りて、
それを確かなものにする事も、あるいは無かったのかも知れない。
「…俺は」
「考えてみればいい。答えはあんた自身が持ってる筈だからな」
 言い置いて冷めかけた茶を飲み干し、永庵は立ち上がった。話はこれで終わりということだ。
玄関まで送ろうと続けて立ち上がった莞は、まだ頭の中に疑問を抱えたままその後ろに付いた。下駄を履き、
提灯に日を入れて帰り支度を整えた永庵は、白尾屋を出る前に一言、ぽつりと呟きを落とした。
「私にはあんたをどうこうは出来ん。だが、今のあんたにはやるべき事があるように見える。…白尾屋の旦那として、な」
「永庵先生…」
 見送りの言葉は出なかった。ゆっくりとした足取りで遠ざかっていく提灯の火を眺めやり、ふと顔を上げた莞の目に、
凍った月が飛び込んできた。
「…白尾屋の旦那として、か…」
店の中に戻りながら懐に触れる。そこに、硬く、重い感触があるのを確かめた。
何処かで、また、風が舞った。


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