第五幕 四

 最初に動いたのは透だった。足音も立てぬまま疾走し、小太刀を振るう。今までの相手ならこれで倒せていた。
だが男の技量は並外れていた。常人よりも数段速い透の動きに見事に答え、その刀を弾き返す。二合、三合と
打ち合ったところで鍔迫り合いになった。男はにやりと酷薄な笑みを浮かべる。
「軽いな」
言うなり刀を跳ね上げ、返す動きでその柄頭で空いた左肩に正確な打ち込みを入れる。ばきんっと嫌な音がした。
「…っ」
「透っ!」
剣介が思わず声を上げる。透の左腕はその一撃でだらりと垂れ下がった。肩の関節を外されたのだ。
だが彼は怯まなかった。右手だけで再び小太刀を構えて斬りかかる。二合目が跳ね返されたところで、
彼は使い物にならなくなった左腕を大きく振った。遠心力でそれは打撃用の武器となり男を襲う。流石にそれは
予想していなかったのか、男の動きが一瞬鈍った。今までよりも軽い一合の後に透は大きく飛び離れて距離を取る。
剣介達のいる後方へと。
「大丈夫か…っておい!」
彼は壁にその左肩を激しく打ち付け、強引に関節をはめ直した。見ている方が痛い荒療治である。
「…強いな」
 八房が息を漏らすように呟いた。男の細身からどうやって生まれるものか一撃一撃が速く、重い。間違いなく今までで
最強の遣い手だ。
 男は冷気を漂わせながら
「次は誰だ?」
とうそぶいた。再び構え直そうとする透を制し、誠司が一歩前に出る。
「おまえの剣は正攻法に対するために崩された型だろ?あっちは正道を習得した後それを自己流に崩してる。
透にゃ向いた相手じゃない。俺が行く」
誠司がもう一歩進み出た。男の、からかうように肩に掛けた刀に視線をやる。
「虎徹か。妖刀だな」
「ほお、分かるか?」
「血の臭いが染み付いてるからな」
実際、何人の者達があれに命を吸われたのか。既に刀自体が妖気を帯び、薄暗い中で不気味にぬめり光っていた。
誠司は青眼に刀を構えて名乗りをあげる。
「竜月真陰流、青城誠司。そちらは」
女性めいた美貌が面白そうに吊り上がる。
「洛水華厳流、刀華斎(とうかさい)とでも呼んでもらおうか」
互いの流派は知らず、初めての相手となる。刀華斎、と名乗った男に相対し、誠司は鋭く声を発した。
「−参る」
 鋼の打ち合う重い響き。
刀同士が交錯する度火花が生まれ、また消える。
既に常人の目では追い切れないほどの速さで二人は剣を振るっていた。その動きは何処か舞にも似て優雅で、
そしてそれ故に恐ろしく鋭かった。
「はッ!やるじゃねえか」
「そっちこそ」
短いやり取りの間にも剣音は響き続ける。
「すげえ…」
「誠司様とあれほど対等に闘う相手は初めてです」
まるで見惚れるように剣介と貴乃が呟きを落とす。
「うかつに手助けも出来んな。巻き込まれる」
これは八房で、彼は己も達人であるだけに目の前で繰り広げられる戦いを自分の体で感じ取る事が出来た。
力と技は僅かに誠司が上回り、刀華斎はそれを速さで補っている。正直、自分があそこまで戦えるかどうか
言い切る自信は八房にも無かった。それ程に、すさまじい剣。そして刀華斎の全身から漂う妖気。
剣を交えたい相手ではない。
 ギイン!とそれまでより一層高い剣音を鳴らして二人は軽く距離を取る。
「青城って言ったか。面白え、俺と互角な奴なんざ殆ど初めてだぜ」
「こっちにも意地があるんでね」
軽く答えはするが、誠司の息は少しばかり乱れていた。あれだけの打ち合いを演じたのだから当然と言えば当然だが、
それよりも刀華斎が放つ妖気に当てられた感が強い。
彼の刀は名刀と誉れ高い虎徹だが、それは妖刀に変じていた。
 妖刀、狂刀と呼ばれるものには二通りある。製作の過程で既に怨念を持ち、打ち出された時から妖しの力を宿したもの。
そして、遣い手によって多くの血を吸い、次第にそう変じたもの。刀華斎の刀は間違いなく後者だった。
彼が人を斬る度、血を浴びる度、刀は次第に変容していく。厄介なのはこの場合、遣い手自身も刀と一体化するように
妖気を纏い始める事だ。美貌の男は間違いなくその類−人斬りに愉悦を覚える人種である。
「…惜しいな。その刀、本来の姿を失っちまってる」
「これが俺の得物だよ。大体、手前だって今まで何人斬ったか分からねえクチだろうが」
「俺はお役目だ。少なくともあんたみたいに、面白づくでやった事は無い。一緒にするな」
「へえ、お綺麗な事で。いいもんだぜ。人を斬るってのは」
大方辻斬りでもやっていた時期があるのだろう。刀華斎は心底楽しそうだった。
人の命を奪う事を悦ぶその性癖は理解し難いものだったが、こういう人種は稀にいる。
血に酔い、その酔った己を楽しむ者は。
「そろそろ再開しようぜ。こいつも鳴いてる。あんたの血が見たいってな!」
 言うなり刀華斎は鋭く踏み込み突きを入れた。辛うじて跳ね返す。びいん、と手に残る嫌な痺れが消える間もなく、
剣戟が再開された。
高い音と火花が次々と散り、舞う。
 誠司は徐々に押されていく自分を感じていた。ここまでの疲れと刀華斎の妖気が渾然となって彼を包み始めたのだ。
それでも、一瞬でも気を抜けば終わりだ。次々と繰り出される重い一撃を受け止めながら、必死と言っていい強さで
相手の隙を探る。
と、その左脇が乱れた。思わずそこに打ち込みを入れる。
だが、それは誘いだった。にやりと笑った刀華斎がその打ち込みを軽くいなし、妖刀虎徹を突き込んでくる。
狙い過たず、誠司の左胸へと。
花雪がぎゅっと目を瞑る。
終わった。その場の誰もがそう感じる程の一撃だった。
だが。
高く高く、澄んだ音が響いた。
 手ごたえを感じず弾かれた刀に刀華斎が訝しげな表情を作る。今度は誠司が微笑う番だった。
「−何だ?」
「お守りだよ」
そういって懐に手を入れる。絹の藍地に銀糸の刺繍を施した護り袋がその手にあった。
誠司はその中からひとつのものを取り出した。澄み切った深い青の小さな勾玉。空いた穴には細紐が通された、
月光の如き光を放つ、それ。
「俺には最強の守護神が付いてるんだ。刀華斎、悪いがこの勝負、俺がもらう」
誠司は己の刀の柄に勾玉の紐を巻きつけ、それを構え直した。答申自体がつきの如く柔らかい光を放つ。
「何だ?」
先程と同じ問いに笑みで返す。
「俺は君子じゃねえから怪力乱神大いに語らせてもらうぜ。月詠神宮の姫巫女直々の御加護。
これがある限り、俺は負けねえんだよ!」
 誠司が反撃に移った。先程よりも数倍速い動きで攻め立てる。月光宿す刃は彼の意思通りに動き、刀華斎を圧倒した。
そして。
「竜月真陰流奥義−天竜」
鋼の立てる硬質な、けれど何処か美しい音。
 刀華斎の振るう妖刀は、その根元から断ち折られ、宙を舞って、部屋の隅の床に垂直に突き立った。


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