第六幕 弐

 思いもかけない台詞に今度は一同が沈黙を強いられた。三条卿が私財を投じて始めたとされる新田開墾事業。
彼の名声を一気に高めることになったその業績の裏に、隠されていたのは汚職と、阿片によって得た金だったという。
にわかには信じられる話ではなく、だが、苦しい筈の武家の台所から魔術のように湧き出した金を考えると、
信じざるを得なかった。
「…何故、そんな事を?」
思わず漏れた芳巳の疑問に彼はあっさりとこう答えた。
「一種の仕返し、かな。私は私を公家の出だ、武士ではないと嘲った『武士』達に、汚れた金で作られた米を
食わせてやりたかった。そう答えるのが一番正しいような気がする」
確かに、彼が元々は武士ではないということで侮られ、軽んじる風潮は今もまだ根強く残っている。
『三条卿』…三条殿、では無くわざわざ公家階級の名で呼ぶのは、彼を内心で馬鹿にしている者達だ。
「三条家に入った時からそうだったよ。所詮武士ではない、頭だけの宮様だと随分と叩かれたものだ。家計を立て直しても
それは変わらなかった。家老としてこの城に入ってから、益々それは酷くなったよ。私も耐えたが、ある時思ったのだよ。
『武士』がそんなに偉いものなのか、とね」
三条卿は笑みを浮かべていた。それは自嘲のようにも見えたし、今の世の中全てを皮肉っているかのようにも見えた。
「確かに私自身はまともに刀を握った事も無い。しかし、剣術が全く得手ではない武士も沢山いる。だが、彼等すら私のことを
『三条卿』と呼ぶ。これは私にしてみれば蔑称以外の何物でもないのだよ。しかし彼等に何の能力がある?
傾いていた三条家を、そして御城の財政を何とか立て直したのは私だ。その間彼等は何をしていた?ただ漫然と与えられた
階級の特権に胡座をかいて眺めていただけではないか。そんな無能者に蔑まれるようないわれは無い」
 三条卿は…否、三条はぐるりと皆を見渡す。ここに集ったのは花雪と透を除けば全員が『武士』なのだ。彼等の中にも当然、
能力とは別にその生まれ故に三条を軽んじてしまう感情がある。それを否定する事は出来なかった。
誠司にすら、無理だった。それほどまでに『武士』という特権階級意識は根深い。幼い頃より、いや先祖代代培われてきた
『武士の誇り』は、彼等にとって自然なものなのだから。
「だから私は、彼等を見返してやりたかった。自分では何もしない彼等を、私の力で食わせてやる。その為の新田開墾事業、
その為の金。それらはどうしても私に必要なものだったのだ。私が私であるためにね」
 それは歪んだ復讐。
自らを軽んじた者を自ら救う、一見高潔なその行い。それはどうしても、汚れた金で為されなければならなかったのだ。
真実を知った者達の『武士の誇り』が地に濡れるような。
 そして三条は真相を明らかにする事はないだろう。あくまで自分の満足の為。自らを満たし、傷つけられた誇りを
回復させる手段。それは酷く傲慢で身勝手な理屈ではあるけれど、それでも何故か、皆にはそれが納得できてしまった。
とりわけ、近くで三条の働きを目にしていた芳巳にとっては。
 だが、それでも。
「三条殿…貴方は、哀れだ」
言わずにはおれなかった。この言葉が届くかどうか分からない。それでも芳巳は三条を、その歪んだ感情と屈辱とを、
哀れと思わずにはいられなかった。
「分かっているさそんな事は。私自身が一番良く理解している」
花雪にさえも。これまで三条がその働きに対して得たものと失ったものを比較してみて、そこに同情を覚えずには
いられないほど、彼の扱いは不当なものだったに違いない。それは分かった。『どうして阿片などを売ったのか』という
疑問にも答えは得られた。
『彼』が命を落とさねばならなかった理由も。けれど、理解はしても、納得する事は出来なかった。
「…貴方はこれからどうするつもりなの?」
「さて、どうしようか」
まるでおどけたように両腕を広げる。
「ここにいる者たちに明らかになってしまえば、城中に知られたも同じだろうね。私は失脚するだろう。復讐を遂げられないままに」
軽く笑って。
「残念ながらそれは本意ではないのでね」
そして懐に手を入れ、何かを取り出す。
 それが何なのかを理解する間もなく、耳をつんざく轟音が轟いた。
 誠司は突き飛ばされていた。寸前に駆け込んできた透によって。
そして今の今まで誠司が立っていた場所に割り込んだ透は、後方に弾け飛び、そのまま倒れ込む。
全てが一瞬の出来事だった。皆の耳が音を取り戻した時、ようやく火薬の臭いが鼻に感じられ、三条の手にしたものから
薄く煙が上がっているのが見て取れた。
 剣介は倒れ付した透の下に駆け寄り、その体を抱き起こす。先程傷を負ったばかりの左肩が、今度こそ、血に塗れていた。
肩に開いた赤黒い穴からだらだらと血が溢れる。その時になってようやく、彼等は三条の握っているものが拳銃であると
気が付いた。
見た事はない、けれど話には聞いたことがある、外国産の小型拳銃。
それを構えたまま、三条はまた、あの笑みを浮かべて見せた。
「阿片を買った商人から手に入れたものだよ。これさえあれば、剣など意味が無いに等しい。さて、どうするね?
私としては君達の死体を片付けることくらい、簡単に出来てしまうのだが」
隙無く銃口を向けながら三条は言い放った。誰も動けなかった。
「では一人ずつ、片付けさせてもらうかな」
 撃鉄を起こす音が、した。


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