第六幕 参

 銃声。
だがそれは、先程とは違い、小さく短く、後にあまり響かない音だった。
そして…拳銃が、三条の手から弾け飛んだ。
一同はただ呆然とする他無く、程なくして姿を表した人物に数秒間は反応できなかった。ややあって、剣介が声を上げる。
「だっ旦那あ?何でこんなとこにいるんですかっ?!」
そう、未だ銃を構えて崩さないのは、今は白尾屋にいる筈の、この戦いの総大将として厳重な警護の中にいる筈の、
白尾屋主人、莞だった。
「…抜け出てきましたか。こうなるんじゃないかと予測はしてましたが」
呆れたように八房も呟く。それにも答えず、莞は握り締めた拳銃の構えを解かなかった。
彼の耳に、これを渡してくれた時の『桜』の言葉が蘇る。
『償いにもならへんけど、持っといて損は無いやろ』
黒光りのする小型拳銃。その握り手には小さな、鈍く光る黒い石が飾りとしてはめ込まれている。
『清で仲良うなった細工師の爺さんに入れてもろたんや。空から降ってきた石やねん。爺さんはこれのこと、
『星砂(シンシア)』て呼んどいたで』
その銃、星砂を携えて単身三条邸に駆け付けた本当の理由を、莞は未だ自分でもしっかりとは把握できていなかった。
それでも−まるで、熱に浮かされたように足は自然とここへ向かっていた。
 『やりたい事』とは。自分の意志とは。
 だから、思いつくままに言葉を並べる。
「俺の仕事は白尾屋を守る事だ。だがそれは、店を維持していくだけの話じゃない。白尾屋で暮らす者全てを、俺は…
いや、俺が、守らなければならない。そう感じたから、俺は、ここに来た」
 奉公人達だけではない。八房、剣介、そして透も。白尾屋に関わる者全てを、己の力で守りたいと思った。
それが多分、『白尾屋の旦那として自分がやりたい事』だ。
伸ばせるだけ腕を伸ばして、守りたいもの全てを守りきることが。
「白尾屋は俺の店だ。俺が、守る」
 紅華を失った痛みは消えない。己はずっと、それに捕らえられてきた。
だがその間にも商いは続いていき、気が付けば、紅華のいた場所ではないところに、もうひとつ、決して
失えないものが生まれていたのだ。
「三条殿、だったか。これ以上、白尾屋の者達を傷つけるような真似はよしてくれ。そうすれば、俺はもう何もしない」
「私がここで否、と言えばどうするつもりかね?」
「貴方を殺す。例え打ち首獄門になろうと、今、ここで」
 莞の声は冷静だった。だが八房も剣介も彼との付き合いが長い分、この旦那は怒れば怒るほど冷めていく、
最も敵に回したくない性質の持ち主だと知っている。
莞は本気だ。ここで三条がさらに何か言えば、それこそ自らの身がどうなろうと刺し違える覚悟で以って
彼を撃つだろう。無論、その場合一介の町人に家老が殺害されるという前代未聞の出来事になってしまうわけだが、
ここには誠司がいる。彼ならば何とか内内に事を収めてくれるだろうと踏んでの強気な発言。
「さてどうされるおつもりか」
ぞっとするほど低い声。今まで白尾屋を、彼の大切なものを傷つけてきた人物を目の前にして、莞は本気で怒っていた。
身分も何も関係あったものでない。ただ人間として、許せないのだ。その眼光をまともに受け止め、衝撃の残る右手を
さすりながら三条は呟いた。
「白尾屋か…随分と気骨のある店を標的として選んでしまった、こちらの失敗だな」
対する三条はどこか清々とした様子だった。この男はこの男なりに、本来何の関係も無い白尾屋に罪を被せる事に
思うところがあったのかもしれない。
彼はもう一度莞を見やり、深く息を吐いた。
「分かった。約束しよう。今後一切、白尾屋には手出しをしない」
「確約は?」
「証文でも取り交わせば良いのかも知れんが、どの道日の目を見る事は無いものだ。それこそ無意味だろう。
たかが口約束ではあるが、信じてもらう他無い」
数秒、二人は睨み合っていた。目線だけで交わされる会話に余人が参加する隙は無く。
ややあって、莞が溜息と共に銃の構えを解いた。
「信用させてもらいます。白尾屋とその内の者達、無論透も含めて、もう二度と、貴方とは関わりを持たない」
「納得してくれたようで何よりだ」
星砂を懐に仕舞い込むや否や、剣介が莞に食って掛かる。
「どーしてあんたって人は自分からしゃしゃり出てくるんですかっ!俺たちのいる意味、分かってます?」
「緊急だ。許せ。それに、助かったのも事実だろう?」
「そりゃ−そうですけどね…」
まだぶちぶちと小言を呟いている剣介を尻目に、莞は一堂を見回した。
「見たところ何とか全員無事のようだな。良かった」
 心底安堵した声で言われてしまえば、もう何も言えない。誰かの唇に、軽い笑みが乗った。
皆が安心したところで、誠司は一歩を踏み出し、三条と向かい合った。
「さてどうするね?与力の君としては、私の罪状を明らかにして上に報告する義務がある筈だが」
開き直りとも取れる言葉に、誠司はゆるゆると首を振った。
「そんな事は考えていません。これほどの醜聞。表に出ればどうなるか分からない。だから…」
言いよどむ。様々な葛藤が彼の中にあるのだろう。暫くの沈黙の後、誠司は意を決したように重い口を開いた。
「今回の事は全て闇の中に葬ります。三条御家老殿、貴方にはこれまでと同じく、御公務にあたって頂きたい」


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