二.やよひのついたち、雨そぼふる


 あれは梅雨の時期ではなかったと、今は思うが、あるいは梅雨の終わりだったかもしれない。大学生活もあと一年を切っていた。

 Tシャツで自転車のペダルをこいでいた。真夜中の川沿いの土手道だった。ランプを回したパトカーが、私を追い越した後スピードをゆるめ、

「そこの自転車、ライトをつけなさい」

と、なんだか無機質な口調で言った。

 無機質と感じたのは、私の自転車はかなり古く、ダイナモのバネも弛み、タイヤの側面もダイナモによってえぐれていたので、うまく発電しなくなっていたからだった。まして、深夜の大雨の中、ダイナモとタイヤの間には雨水がかなりの厚みで入りこみ、空回りするだけだった。

 私は体を前にかがめ、ダイナモに手を添えてタイヤに押しつけた。手で押しつけている間、自転車の小さなライトは光を放った。それを確認したパトカーは、ゆっくりと速度を上げて遠ざかっていった。私はTシャツも、ジーパンも下着もしとどに濡れていた。

 その川沿いの土手道は、なんども自転車で通った。彼女とも、なんども通った。土手下におりて、春の若草や川面の光の反射を、照れくさい思いでいっしょに見つめたこともあった。

 そして、彼女のアパートからの帰り道は、いつもその土手道だった。その通いなれた道で、突然他人から忠告を受けたことが、私の印象をかたくななものにしたのかもしれなかった。それよりも、私は彼女が私以外の男とつきあっていたことを、その日知ったのだった。それも具体的に。

 彼女のアパートに行って、愛を交わし、彼女がコンビニにアイスクリームを買いに行った間だった。手持ちぶさたを慰めるために彼女の本棚を探しているうちに、私は彼女の日記帳を開いた。そこにはほんの二か月前に彼女が交わした情交が、細かに記されてあった。相手は私も知った男だった。

 彼女の手作りの夕食をとり、その後も柔らかく濃密な時間をすごした。優しくしなだれかかる彼女の肢体からは、二か月前のできごとはなにも感じ取れなかった。私は日記を読んだことを自分の中で封印した。私は彼女の日記を読んではいないのだ。男女というものは多かれ少なかれそういうものだ。私にせよ、情を交わしはしなかったが、何人かの女性とつき合っていたではないか。夜の十二時をまわり、私は帰ることにした。

 家に帰り、シャワーを浴び、私は寝た。
 盗み読んだ日記の内容が、私を苛立たせた。
 愛するとは、何であるのか。
 彼女は私を愛しているのか。
 私が彼女を愛していることに、どのような意味があるのか。
 答えは、どこにもなかった。
 答えのないまま、私は彼女に逢いつづけた。

 あの夜と同じような雨が降る夜、私は一つの決心をした。
 愛とは、自分の行為であると。この大雨の中で、彼女を抱きしめ、彼女を愛そうと。
 それから一年半後、私たちは結婚した。
 私は一度も、雨の中で彼女を抱きしめることはしていない。


 昔、男がいた。奈良の都から遷都し、今の京の都は人の家はまだはっきり決まっていない時に、西の今日に女が住んでいた。その女は、世間の人よりは美しかった。その人は、見た目よりは心映えのほうが良かった。通ってくる男がいないようでもなかったようだった。それをあの恋に敏感な男が、恋を交わしあい、帰ってきて、どう思ったことか、五月の一日、雨がそぼ降る朝に贈ったという歌、

 起きているのでもなく、寝るのでもなく夜を明かし、春につきものの長雨のように、ぼんやりと沈んだ気持ちであなたのことを思いながらすごした。


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