体育館正面玄関。 ガラス張りのエントランスのような雰囲気を持った場所。 体育館玄関の割には随分と瀟洒(しょうしゃ)なイメージで、来訪者に理事長の趣味を想像させた。 そしてガラスの扉をくぐる二つの人影。 気分を悪くし下を向いている綾香と細い肩を担ぐ堀田だった。 堀田も顔中に汗をかき、歯をくいしばっている。 綾香を玄関先まで支えて来てやっとという感じか。 玄関の角隅に配置されている黒いナイロン製の革張りのベンチに綾香を降ろすと、堀田はすぐに眼鏡を外し、ハンカチを広げて顔全体の汗を覆うように拭く。 ハンカチをポケットにしまうなり、 「気分は大丈夫っすか?今日は、保健室が開いていなくて、こんな所しかないですけど」 と綾香に聞いた。 綾香は帽子を取りベンチにあお向けになって、薄目で堀田を見あげながら、 「ありがとう。だけど今はちょっとしんどいよ」 と消えそうな声で応える。 「ちょっと待ってくださいね。何か冷たい物を買ってきます」 「プリンシェイク買って来て・・・」 気分が悪くてもしっかり我を通そうとする綾香。 「今、甘ったるいの飲んだら余計に気分悪くなりますよっ。他のを買ってきます」 堀田は、忙しなくズボンのポケットをまさぐりながら小銭入れを取り出すと踵をかえして再び外へ出た。 「プリンシェイクが飲みたいのに・・・」 自分の置かれている状況そっちのけで綾香は、憮然とする。 やがて堀田がアクエ○アスレモンを両手にドアをくぐって戻って来た。 綾香の顔の傍に片方を置くと、堀田は缶を開けるなり一気に飲み干す。 飲み終わると生き返ったという表情を浮かべて、軽くため息をつく。 「僕はまた西谷君と但野先生の所に行きますからね。ここは涼しいですから水瀬さんは暫く休んで下さい。気分が良くなったら部室に戻って来てくれって西谷君が言ってましたよ」 「わかった・・・」 そして外へ向かおうとする堀田だが、一瞬綾香を置いていく事をためらう。 が、すぐに、 ・・・まぁ、大丈夫でしょう・・・ と思い直し、外に出て中庭へと歩いていく。 堀田は先程から内扉が開いた体育館の中の方から、時折視線を感じていたのだ。 背中に張り付いた冷たいナイロン製の革の感触は、綾香の意識を緩やかに確かなものへと戻していく。 徐々に体を動かす事に幾らかの余裕が出てきた、綾香。 横向けで寝そべった状態のまま、顔を少し上へと向ける。 丁度、体育館内でバスケットボール部が3on3※を行っている所を目にした。 (三人対三人のゲーム) 綾香はバスケ部に知り合いは殆どいない。 従って自然と眼は、3on3の最中である稔之の方を追い続ける。 稔之は自分に付いているガードの内側に入ると見せかける。 ところが、実際はガードの背後を抜いてゴール下に走りこんでいく。 同時にハイポストでパスを受け取っていた稔之側のチームの一人が、稔之のいる方向の反対を見ながら、ボールをワンバウンドさせて確実に稔之にパスを渡す。 虚を付かれた相手側を尻目に稔之は、スピードを落とさずゴールを見据え、真上にジャンプしてボールをバックボードに当てる。 ●挿絵3 バックボードを跳ね返ったボールはするりとゴールを通り抜ける。 ・・・凄い。やっぱり上手いなぁ・・・ バスケの知識がない綾香でも、十分に伝わってくる程の見事なトリックパスとコンビネーションプレー。 日頃から三人のコンビネーションをしっかり練習してきた成果の一つだ。 綾香はもう一つ驚いている事がある。 稔之が放つシュート率の高さだ。 綾香が見始めてから稔之は、一度もシュートを外していない。 勿論、味方の的確なパスのせいもある。 が、綾香はある事を思い出していた。 今から半年前。 この地方では珍しく雪の積もった朝。 綾香は列車状況が気になって、いつもより早く起きていた。 朝食を取りながら窓の外を見やる稔之に、綾香の母親である晶子は 「今日ぐらい、のんびりとしたらいいんじゃないの?」 と心配そうに稔之を見つめる。 「これ位、どうって事ねーよ。今から学校に行ってくる」 稔之は毎日、一足早く学校に行き一人でシュート練習を続けていた。 リビングでは綾香がソファに寄り掛かって、ニュースを見ている。 ・・・テスト期間中はギリギリまで寝ているくせに 内心、苦笑する綾香。 何か言おうとする晶子より先に、稔之は喋りだす。 「試合で勝つ為には、シュートした数の半分は成功しなきゃいけないんだ」 綾香はニュースを聞く振りをして、稔之の声に耳を傾けた。 「それにはシュート練習で少なくても5000本ゴールを通過させるぐらいやりこまないと、駄目なんだよ」 「通過」である。 最低5000本。 綾香は一瞬、絶句する。 やり遂げるのに一体どれ位時間がかかるだろうか? 言い終わると稔之は立ち上がって、晶子に軽く挨拶をすると部屋から出て行った。 稔之は毎日、綾香の家で朝・夕食をとっている。 が、二人はほとんど、顔を合わせたことがない。 稔之の方が登校は早く、帰宅は遅いからだ。 体育科に所属している事から分かるように、稔之は子供の頃から運動神経は抜群に良かった。 中学時代はバスケ部のポイントゲッターだったと聞いている。 高校では全国から集まったメンバーの中から、1年でスタメン入りを果たした。 しかし、これは稔之の日頃から積み上げてきた相当な努力の結果なのだ。 結果の一部をまさしく今、綾香は見たのだった。 稔之に比べて自分は。 西谷に誘われて写真部に入ったものの、今まで何一つ満足いく作品が出来た事はなかった。 撮影の基本的な技術、シャッター半押し※を素早く出来るよう、マスターするのにも2ヶ月近くかかった。 (ピント合わせの動作の一つ) 自分のイメージする物と実際の作品はいつも食い違う。 歯痒くて、何日もカメラを触れない事もある。 部活内では表面的に明るく振舞っている。 が、実際は自分の能力に苛立ち、 「本当に私は写真が好きなの?」 と疑問が湧いてくる。 自信の無さは少しずつ、特に西谷の前では部内での行動を受身にさせた。 今日もだ。 校内施設撮影も西谷に任せてばかり。 勿論、撮影の際に対象物を綺麗に掃除しておくことはとても大切な事だが。 綾香は顔を両手で覆う。 ・・・西谷君は私に何も言わないけれど 実際は少しがっかりしているのではないかと、考える。 体調の悪さは、普段の綾香より思考を悲観的にさせた。 いつも突っ走る分、立ち止まると自分の未熟さが目に付いてしまう。 ・・・うう、色々考えていたら・・・また気分が悪くなってきた・・・ 指の間から見える、眼の前の光景が緑がかってくる。 薄れていく視界の端では、稔之が今度はミドルシュートを決めていた。 同時に、綾香の意識は途切れた。 |