Act．1「relationship（亮哉編）」
| 日が昇る、数十分前。 高知県最南端、足摺岬。 黒味がかった海を一望する事の出来る、断崖の上にあるベンチに亮哉は、体を預けていた。 ●挿絵１ ここに辿り着いてから、亮哉は一睡もしていない。 波が断崖に打ち寄せる音を聞きながら、ずっと海を見続けていたのだ。 海面からの潮風が亮哉の髪を吹き上げる。 しかし、乱れた髪を気にする風でもなく、亮哉はずっとある事を考え続けていた。 幼馴染に裏切られた少女は、他人に頼らず、 自然の力を使って心を癒そうとした。 そして、様々な風景を見てきた綾香が、一番気に入った場所。 それが、ここ足摺岬だ。 自分も死の恐怖から一時的にも逃れる為に、 岬に来ている。 ここに来れば、答えが出ると思ったからだ。 亮哉の心の中に、ふと疑問が湧いた。 ・・・何故、水瀬さんは写真を撮り続けるのだろう？ 写真を撮るきっかけを作ったのは、西谷だ。 しかし、継続しているのは、やはり自分の意志があるからであろう。 風景を楽しむなら、ただこうやって眺めているだけでも十分だ。 それなのに・・・。 海面から、少しずつ太陽が昇り始める。 その眩しさに眼を細めながらも、亮哉は海から目を逸らさず、眺めに没頭した。 夜行バスと電車とタクシーを乗り継いで、 綾香が足摺岬に到着した時には、既に正午過ぎだった。 タクシーを降りた途端に目に入った白い灯台が、幼い頃父親と訪れた懐かしさを引き戻した。 展望台に向かって歩く途中に、綾香はあっさりと亮哉の姿を発見した。 もともと確信みたいなものがあったので、綾香は大して驚かなかった。 ゆっくりと、綾香は亮哉が座っているベンチに歩み寄る。 近づくと、亮哉の方で気配を感じたらしい。 振り向いた亮哉と目が合った。 「やっぱり、ここに来ていたんだね」 ベンチを回り込みながら、綾香は亮哉に声をかけた。 「俺がここに居る事を皆、知っているのか？」 亮哉は少し体をベンチの端にずらして、綾香が座る為のスペースを空けた。 綾香は、座りながら首を振った。 「知っているのは、私と関谷君だよ。 関谷君が、夜行バスの停留所まで送ってくれたんだ」 ・・・関谷が、送ったのか・・・。 緊急時だからだろうが、 綾香を手放したくない故に、罪の意識を重ねてきた稔之が、 よく決意したものだ。 綾香が亮哉の元に向かうという事は、 ただ亮哉の行方を見つけ出すという意味合いだけではない事は分かっているだろうに。 しかし、亮哉は稔之を見直した。 稔之は自分の感情よりも、綾香の幸せを願ったのだ。 人を激しく想う事は大切だ。 だが、想う気持ちよりも、想う人の幸せを考える事の出来る人間が、自分を含めて一体この世でどれだけ存在するだろうか？ それに気付いた稔之が、綾香を苦しめる事はもうないだろう。 亮哉の心の中に安堵が広がる。 二人は並んで黙って、海を見続けていた。 数時間たった時、綾香は口を開いた。 「私、東京の大学受けてみるよ。 ・・・そりゃ、彩賀君と同じ所は無理だけど・・・ でも、住む所は近くにするよ」 元気さを装って、綾香は亮哉の方を向いた。 亮哉に希望を持たせようとしているのだ。 綾香の気遣いが痛い程、亮哉に伝わってくる。 「ありがとう。 けど、水瀬さんのやりたい事が、本当に東京じゃないといけないのか その辺をよく考えてからにしてくれ」 冷たい返事だろうか？ 嬉しさを堪えながら、亮哉は客観的な意見を述べた。 「・・・・・・」 綾香は下を向いた。 サラりとした髪が、綾香の表情を覆い隠す。 綾香が泣き始めたんじゃないかと、亮哉は慌てて顔を覗き込んだ。 二人の距離は縮まった。 しかし、綾香は泣いていなかった。 綾香は一端眼を閉じると、大きな瞳を一層開いた。 「私、彩賀君が、好き」 亮哉の全身が、熱く固まった。 そして、亮哉よりも遥かに緊張した、綾香はもう顔が真っ赤だった。 「・・・東京に行きたいのは、やりたい事があるからじゃないよ。 大学入ったら、見つかるかも知れないけど・・・ でもそんな事より、私、彩賀君の傍に居たいんだ。 前に、彩賀君が倒れた時も一番にそう思った。 今回もそう。 私は彩賀君が好きだから、東京に行きたいの」 亮哉の頭の中は、熱を帯びて思考が停止してしまったような感覚を覚えた。 俺も水瀬さんが好きだ。 そう言いたかった。 だが、亮哉はその言葉を喉元で押し止めた。 想いに対する迷いからではない。 むしろ、口に出して 『好きだ』 と言いたかった。 しかし、今、自分の状態は。 長く綾香の傍には居られない状況なのかも知れないのだ。 想いを告げることで、逆に綾香に悲しい選択をさせてしまう。 亮哉は本当にギリギリの所で、本心を出さなかった。 代わりに黙って優しく、綾香の手を握り締めた。 言葉に出さなくても、自分の心の中が伝わるように。 手を握られた綾香も、亮哉の手を離さない。 二人は再び黙って、海を見続けるのだった。 |