Act.2「貴方が見たい真実」

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やがて、西の空が、橙色を帯びてきた。
季節は11月上旬。
日が落ちるのは、思うより早い。
「そろそろ、戻らない?」
綾香が腕時計を見遣りながら言った。
高知駅発の夜行バスに間に合う為には、そろそろ出発した方がいい。
「悪い、俺はもう少しここに居たい」
亮哉は、海を見続けたまま応えた。
「・・・彩賀君が居るなら、私も残るわ」
綾香は腕時計をつけた腕を、ベンチの床に戻した。

亮哉は、実はこの夕暮れを待っていたのだ。
綾香に惹かれるきっかけとなった、この夕陽を。

水瀬さん。俺は出来る事なら、君とずっと一緒にいたい。
だけど、それがもし叶わないのだとしたら・・・!

亮哉の心の叫びに呼応したかのように
海に沈む太陽は赤く色付く。
亮哉は、おもむろに足元のリュックサックからポロライドカメラを取り出した。
水平線に浮ぶ太陽に向かって、シャッターを構える。
『水瀬さんが、写真を通して本当に得たかったものが
 ここにありますように・・・』
亮哉は、願いを込めて、シャッターボタンを押した。
カメラから吐き出された写真を、ずっと自分を見つめていた綾香に手渡す。

綾香は、亮哉から渡された写真を覗き込んだ。
海上に、美しい赤い光の帯を映し出す夕陽。
・・・・・!
綾香は、その深紅の夕焼けに見覚えがあった。
懐かしい、そして心の奥底に深く刻み込まれた記憶。
それは、稔之に傷付けられたプールでの出来事よりも
遥かに、綾香の心の中に根付いていた。

夕焼けの中、まだ幼い綾香は稔之と並んで帰路へと向かっていた。
稔之がついて来ているのは、綾香が転んで服を汚した事について、一緒に謝ってくれるというからだ。
並んで歩いていた綾香は、ふと稔之の頬を見た。
すると、涙の後が一筋。
怪訝に思った綾香の気配に勘付いたのか、稔之は口を開いた。
「俺、母さんに嫌われているんだ」
綾香の瞳が、驚きに大きく見開かれる。
しかし、驚きは少しずつ稔之に対する切ない想いに変わっていった。
子供心にも、今言わねばならない言葉が、綾香には分かった。
緊張に全身が熱くなる。
だけど今、告げないと稔之の孤独は癒せない。
「そう・・・でも・・・私は
 稔之の事が好きだよ」
稔之は、聞こえてきた綾香の科白に、振り向いた。
硬直した表情のまま、綾香を見つめる。
綾香の顔が赤いのは、夕陽のせいだけではない。
途端に、冷え冷えとしていた胸の内は、
心地よい安定感へと、変わっていった。
『自分を、心から必要としている人間がいる』
自分から離れていく母親の愛情に稔之は崩れそうだった。
しかし、その稔之を辛うじて救ったのは、綾香の告白だったのだ。
そして、綾香も初恋の少年に想いを打ち明けられた事に、
嬉しさを噛み締めていた。

「・・・私・・・」
亮哉が写した写真を見て、すべてを思い出した綾香は
瞳を微かに潤ませて、亮哉を見た。
●挿絵2
『俺が、必ず、助けるからな』
以前、綾香の家に訪れた時に行った、亮哉の誓い。
千光寺の桜の写真を通して知った、綾香の哀しみを、亮哉は受け止め、
綾香が最も、行きたかった場所。
足摺岬の夕陽の風景を見せる事で、綾香を救い出したのである。

綾香の表情を見て、亮哉は確信した。
もう、過去の出来事で綾香が苦しむ事はないだろう。
達成感に満たされた亮哉であったが、
心に潜む冷静な部分が、ある事を亮哉自身に告げた。

だが、これから先。
水瀬さんの身の上に、これ以上の辛い事、悲しい事は
絶対に起こるだろう。
この繊細な少女が、一人でそれらをすべて乗り越えるだろうか?
勿論、乗り越えられるかも知れない。
しかし、人間一人ではどうにもならない事も多いのである。

亮哉は、自分を見つめる綾香の瞳から、目を逸らすと
再び海のほうを見遣り、再び目を閉じた。
・・・関谷。
   ここに水瀬さんを連れてくる事を決心できた
   今の関谷なら、
   今度こそ、水瀬さんを幸せに出来るだろう・・・!

失意から、自分のアパートで、眠り込んでいた稔之は
ある夢を見ていた。
インターハイ予選決勝の夢である。
勝利を収め、歓声の中、稔之は綾香の姿を目線で探し出す。
そして、駆け寄る人波を振り切り、稔之は綾香の傍に駆け寄った。
息を切らしていたのを落ち着けると、稔之は綾香の両肩に手をかけた。
「綾香、俺は・・・
 ずっと言えなかったけど、
 俺は、綾香の事が好きなんだ。
 なのに・・・あの時、見捨てるような真似して・・・
 悪かった。
 二度と、あんな事がないように、
 俺は、これからももっと強くなるよ」
最初、唖然として口を開いたままだった綾香であったが、
稔之の言葉を聞き終えるなり、唇を微笑に緩めて、瞳を輝かせた。

そこで稔之は、部屋に入ってくる光に感付いて目を開いた。
体を起こして、カーテンを開くと、空は見事な夕焼け。
・・・俺は、この夕焼けを昔見たことがある。
カーテンの端を握り締め、稔之はかつての記憶を微かに探るのであった。

余韻に浸る綾香に、亮哉が声をかけた。
「水瀬さん、そろそろ戻ろうか。
 急げば、高速バスにまだ間に合う」
二人は、足摺岬を後にした。
そして綾香と亮哉が二人で遠出したのは、これで最後となった。

結局、亮哉は手術を受けたものの、
術後の経過は芳しくなく、容態は急変し
その年の暮れに、亮哉は帰らぬ人となった。

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